日常 3人のママの場合

旦那サン、お姉ちゃん(6歳)お兄ちゃん(3歳)末っ子(0歳)を持つ母の話です。

父が亡くなった。 亡くなる前そして亡くなった時の話

昨日励ましのコメントなど沢山頂きました。本当にありがとうございます。まだ少し辛かったり、ふとした瞬間父の事を思い出しますが、キチンと現実と向き合い、前向きに頑張ってます。亡くなった父の為、家族の為、応援して下さった方の為にもシャンと出来るよう頑張りたいと思ってます。

前向きに頑張れるよう、少しだけ父についてこの場を借りて色々書かせて下さい。

 

 

昨日の記事に書いた通り父は多発性骨髄腫と言う病気でした。約10年前に病気が発覚して当日は余命3年と宣告されました。

 

その頃私は今の旦那サンと同棲中。そして結婚の話が決まったばかりでした。

結婚の話をしに旦那サンと家に行くと、父はTVから一切目を離さず

「おめでとう」

と一言。

後から母に聞いた話ですが本当はめちゃくちゃ喜んでたそうです。ただ少し寂しい気持ちと照れがあった為TVから目を離さなかったとの事。

 

その結婚報告の数ヵ月後に私は父が多発性骨髄腫と言う事を聞きました。

 

結婚報告の前に既に病気だと病院から言われていたそうですが、私に心配かけたくないのと、おめでたい話だった為に言い出せなかったのかな?と思います。

 

その話を初めて聞いた時は頭の中がパニックでした。

 目の前に居る父は元気。しかし余命3年と言うギャップに頭はついていきませんでした。

 

ショックを受けている私に父は

「大丈夫。孫の顔もまだ見てないし○○(私)も○○(弟)も母さんも心配だから死ぬに死ねない」

と言ったのを今でも覚えてます。

 

それから私は父と映画を見に行ったり、温泉に行ったり、競馬なんかに連れてってもらって母に怒られたり……。沢山父と楽しい時間を過ごしました。

 

そしてお姉ちゃんが産まれました。

私の父は相当デレデレでした。

産まれたばっかりのお姉ちゃんをビビリなから抱っこしてくれました。

ヨチヨチ歩きのお姉ちゃんをお祭りに連れて行ってクタクタになりながら帰ってきたり、サイコロをお姉ちゃんに振らせて競馬の予想をさせて私と母に怒られて、そんな父でした。

 

そんな感じてあっと言う間に余命宣告を受けた3年が経ちました。

何処が病気なの?と言うくらい父は元気。

早期退職した父は週5でゴルフ。

めっちゃくちゃ元気でした。

 

その後私はお兄ちゃんを出産。

お兄ちゃん、ほんの少し心臓が悪く、父は凄く心配してくれました。

そしてこの頃から父はあちこち痛いと言ってました。

 

お兄ちゃんの心臓はファロー四徴症と言う病気ですが手術すれば良くなるとの事。手術前は運動制限などありましたが2歳になる前に8時間の手術の末、今では元気に駆けずり回ってます♪

かなり大きな手術だった為、私の父は自分の体が痛いのにズットお兄ちゃんの側に居ました。

「俺も頑張るから、○○(お兄ちゃん)も頑張れ」とICUで面会している間何度も声をかけてくれました。

 

お兄ちゃんの手術の時、私末っ子を妊娠中でした。

父は自分の体もあちこち痛いのに、お兄ちゃん、私、お腹の中の末っ子の心配ばかり。

もう少し自分の体を大切にして。と言ってもあんまり聞いてくれませんでした。

本当頑固と言うか、家族思いと言うか、優しいと言うか、大好きでした。

 

その後私は3人目出産。しかしその頃には父は入退院を繰り返してました。

 

それでも前向きに頑張る父は本当凄かったし尊敬してます。

 

治療にも積極的で、抗がん剤治療も積極的にして食べ物を食べれなくても、痩せ細っても「まだまだやりたいことがある」

と言っていました。

 

亡くなる1ヶ月前は一時退院で自宅に居ました。自力では歩けないし、話てても途中で寝ちゃう時もありました。

それでもお姉ちゃんの入学祝いを何にしよう?とAmazonで色々検索してくれたり全力で生きていました。

 

そして亡くなる2週間位前母から父が救急車で運ばれたと電話がありました。

今すぐどうこうでは無いけど覚悟した方が良い。と母に言われました。

次の日病気に行きました。手も足も顔ももう殆んど骨と皮。

声は出せるけど、全部は聞き取れない。

手に力が入らないからペンも持てない。

水も飲み込めない。

見てるのが辛かったです。

 

それでも頑張ってお話をしました。

病院の先生にお話出来るのは最後になるかもと言われたので

「ありがとう」

をイッパイ伝えました。

父が眠ってしまったのでこの日は帰宅。

 

因みに私の家は実家から離れている為高速で一時間半位かかります。

 

そして数日後もう一度病院に行きました。

この時は既に返事もしてるのか分からず。

ただ何度も体が跳ねるように動いていました。

目も焦点があっておらず、声も出ませんでした。

それでも私は楽しかった事や感謝の気持ちを伝え続けました。

そして父の目に涙。

口元もパクパク何か言いたそうでした。看護婦サンに口元がパクパクしてると話したら自力で動かしたのではないかもしれない。でももしかしたらほんの少しだけ話しているのが聞こえたかも。との事でした。

体の中で1番最後まで機能するのは耳らしいです。

なので話しているのが聞こえていたら良いなーと思ってます。

 

子供達は面会できないので本当は病室に連れていき近くに居たかったんですが帰宅する事に。

 

そして次の日の朝、母から父が危篤と連絡が入りました。

 

急いで病院へ向かいましたが病院の駐車場に着いた時、ケータイに亡くなったと弟から連絡が。

間に合いませんでした。

それでも急いで病室に行くと動かなくなった父が居ました。

 

信じられませんでした。手を握ってみると暖かい。足も体も全部まだ暖かい状態。

本当に寝ているかのよう。

弟から亡くなる時の様子を聞いたら、本当に眠るように亡くなった。と教えてくれました。

覚悟はしていたけど辛いが本音です。

でもまだこの時はかなり冷静でした。

頭の中がクリアと言うか、おそらくまだ実感が沸いてなかったんだと思います。

 

亡くなった事を父の兄弟や親戚の方に連絡。

(父の実家が県外の為駆けつけれませんでした。)

そして少し泣いて看護婦サンが来ました。

 

私が到着するまで全てそのままの状態にしてくれたそうです。

 

良く晴れた日でした。

 

つづく

 

明日お姉ちゃんの卒園式の為今日はここまでにさせてもらいます。