日常 3人のママの場合

旦那サン、お姉ちゃん(6歳)お兄ちゃん(3歳)末っ子(0歳)を持つ母の話です。

好きなものはいつ食べる?

あなたは好きなものいつ食べますか?

 

 

本日の朝食

  • ご飯
  • しじみのお味噌汁
  • ホウレン草のごまあえ
  • 卵焼き
  • ウインナー

でした。

私も旦那サンも子供達もこの中ではウインナーが大好き♪

 

でも食べる順番を見てみると綺麗に全員バラバラ。

 

旦那サン。

真ん中位にウインナーを食べる。

 

お姉ちゃん。

最後に食べる。

 

お兄ちゃん。

最初に食べる。

 

母。

最初から最後までまんべんなく少しずつ食べる。

 

末っ子。

ミルクです。

 

 

そんな感じで全員バラバラ。本当性格出ますね(笑)

 

 

 

好きな物は真ん中位に食べる旦那サン。

(AB型です。)


協調性があり、まわりとの調和を保てる人なのかもしれませんね。

人の話を聞いて、自分の意見を上手に伝えるのが得意ではないみたいな事が書いてありました。

 

ストレスですね(汗)もう少し旦那サンの話を聞いてあげようと思いました‼‼‼

 

 

 

 

好きな物を最後に食べるお姉ちゃん。

(A型)

 

遠慮する性格。計画的。

欲求に打ち勝つ心と我慢強い性格を持っています。など書いてありました。

 

 

計画的。確かにあっているかも。

そして遠慮してるのかぁー‼‼子供ながらもストレスを抱えてるんだね(汗)

 

 

好きな物を最初に食べるお兄ちゃん。

(B型)

 

 
真っ先に自分の望んだものを手に入れる。欲求にストレート。など書いてありました。

 

 

ジャイアン的な?(笑)

友達と喧嘩にならないか心配です。

 

 

最初から最後までまんべんなく少しずつ食べる母。

(O型)

 

 

特別意識なく非常に万人受けされるタイプ。

なんとなく、なんの嫌味もなくグループの輪の中にいるタイプです。など書いてありました。

 

 

まぁ。合ってます。

要するに八方美人ってやつですね♪

非常に合ってます。

 

 

同じ家族でも全員バラバラの我が家。逆にバラバラだからバランスがとれてるのかな?と思います♪

皆さんどうですか?

当たってました?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ママ友の必要性と作り方

もうすぐ友達に赤ちゃんが産まれます。

その子は初めての子供で色々聞かれたので私なりに書いてみます。

 

初めに、

ママ友は必要か?

について。

私個人の意見としては必要だと思います。

何故か?

  • 子供達が仲良く遊んでくれる。
  • 分からない事が色々聞ける。
  • 保育園の話や、学校の話なども聞けるし、注意した方が良い事なども聞ける。
  • 母が子供の行事に楽しんで参加できる。

などです。

 

 

具体的に「子供達が仲良く遊んでくれる。」

はそのままの意味です。保育園の外で遊んだりするとより一層仲良くしてくれると感じました。

 

 

「分からない事が色々聞ける」は、

遠足などのお弁当「キャラ弁にする?」とか、

保育参観の時「一緒に車乗ってかない?」(駐車場が少ない為)とか、

最近では「卒園式の時子供達の服装どうする?」そして「母達の服装どうする?」など色々相談出来ます。

ネットで調べてもその保育園によって様々な暗黙のルールとか、その保育園の普通があると思います。そんな時気軽に相談できる人が居るのはいいですね。

仲良くなってくると、そんな話がとっても楽しくなってきます。

 

 

「保育園の話や、学校の話なども聞けるし、注意した方が良い事なども聞ける。」は、

初めての子供が入園、入学の時って子供もドキドキだと思うけど親もドキドキだと思うんですよ。色んな意味で。

でもそんな時は上にお姉ちゃん、お兄ちゃんが居るママ友って貴重です。

保育園の雰囲気を聞けたり、どんな先生が居るとか、気をつけた方が良い人なんかも教えてくれたりします。

学校も、その学校によってどんな事に力を入れているなど聞けるので有難いです。

 

 

 「母が子供の行事に楽しんで参加できる。」は、

行事など参加するとき、お話する人も居ない「ポツン」の感じはあまり居心地が良くないですよね。

仲が良いママ友が居るとそんな事を気にしないで、自分達も楽しめますよね♪

自分達が楽しいとまた行きたくなります。多分親が積極的にそう言う事に参観すると子供も積極的に色々やってくれます。相乗効果ってやつですね。私的に中々良いことだと思ってやってます。

 

 

 

実際にどうやってママ友を作ったのか

1人目の時は色々大変でした。1年で仕事復帰しなければならないし、それまでに色々聞ける人が欲しかったので頑張りました。

旦那サンの所に嫁いで来た為、地元ではないので全く知らない人ばかり。

子供が5ヶ月位の時から保育園の近くの子育て支援センターやサークルなどに通いました。保育園の解放日なども積極的に行きました。図書館のお話会なんかも行きました。

とは言っても初めてはヤッパリ母も不安。時間がたつのが長かったし中々馴染めませんでした。それでも何度も通いました。

 

 

子育て支援センターやサークルは私と同じように交流を求めて来てる方が意外と多かったので話かけられたり、話かけたりわりとスグに交流がうまれました。

 

 

保育園の解放日は、とりあえず先生と仲良くしようと思い、先生と話してるうちに自然な感じでママ友が出来ました。しかも保育園の解放日に来る方達は殆んどの場合、この保育園に通います。なので此処で出来たママ友は今でも交流が有ります。と言うかお姉ちゃんと同じクラスでした。

 

 

図書館のお話会はお姉ちゃんと同じ位の友達は出来ませんでしたが、年上の友達が出来ました。

少し年上なので、私が悩んでる事は大体経験しているお母さん。凄く頼りにしてます。これからお姉ちゃんは小学生。学童に通います。図書館で知り合った方も学童に通っているので只今色々相談中です。

 

 

最後に意外な所で出来たママ友は病院で出来たママ友。この方も同じ保育園でした。何処の小児科が評判が良いトカ聞きました。

あと旦那サンの友達を通じてのママ友も居ます。

 

 

 

 

ママ友って多分何処でも派閥があったり、グループがあったり少し独特ですよね。ぶっちゃけ面倒だなと感じる人もいたりします。

距離感も普通の友達とは違うので難しいですよね。

でも絶対必要だと感じる時はあります。

 

保育園、幼稚園入学してるのにまだ親しい人が居ない?

子供が仲良くしている子のお母さんと仲良くなってみてはどうでしょう?

子供を通じてどんな遊びをしてるトカ、流行ってる事トカ話題は豊富だと思いますよ‼‼

 

 

もうすぐ暖かくなって公園などに子供サンを連れていかれると思います。

その際子供が仲良くお友達と遊んで、母達も楽しくお喋りを楽しめると良いですよね♪

公園でお花見したり、バーベキューしたり。その際子供達も仲の良いお友達が居るとより一層楽しめますよ♪

外なので思いっきり遊べるし、汚したりも気にならないし‼‼家に帰ればクタクタで子供達はスグ寝るし(笑)

 

子供が小さいうちは中々難しいですが、いずれ大きくなります。その時に子供が楽しく遊べる環境が有るのは良いですね。

子供が大きくなればなるほどグループが出来上がって、ママ友作りが大変になるので、早めに行動をする事をオススメします。

 

 

 

 

父が亡くなった時の話・最後です。

前回の続きです。

 

あまり寝れなかった私ですが、割りと元気でした。この日の予定は何も無かったのですが、遠方から来てくれた親族への対応や葬儀・告別式の段取り、書類の提出などもあり忙しかったです。

 

この日も実家に泊まらせて貰いました。

この日位カラ記憶が曖昧なので間違っていたりしたらすいません。

 

翌日納棺。納棺の前に湯灌の儀と言うのがありました。

この湯灌の儀をしてくれた方がとても、とても丁寧で驚きました。亡くなる前、とても綺麗好きだった父。そしてお風呂が大好きだった父。

「久しぶりのお風呂だね。」

と皆で声を掛けてあげました。

 

始まる前も綺麗にしてもらえると思い、良かったねと思っていたんですが、始まってみると、その丁寧さと、気遣いなどでビックリする位泣きました。

 

2人1組で、

初めは顔にクリームを塗り、髭を剃って貰い、その後頭を洗い、顔を洗いました。その間にもう1人の方が体を洗ってくれました。

 その後爪を切ってくれたり本当に丁寧にして貰いました。 

 

湯灌(ゆかん)の儀式とは、亡くなられた方が、 来世に導かれるために現世の汚れを洗い清めると云う意味と、赤ちゃんが生まれたとき、 産湯につかるように、新たに来世に生まれ変わるためにと云う願いをこめ行うそうです。

 

湯灌の儀が終わり、その後父にお化粧をしてもらい、白装束を着せ、棺桶に蓋をしました。最後まで丁寧にしてもらって本当に感謝です。

 

昔「おくりびと」と言う映画が流行りましたが、当時あまり興味がなく見ませんでした。が……今ならなぜ流行ったのか分かる気がします。まだ見てないので今度見たいと思います。

 

この日の予定は一応終わり。

でも全然暇はありません。葬儀が終わったら祭壇がないといけません。なのでベルコサンと一緒に家へ行き、祭壇の設置。

 

そして父の遺影を作らなければならないので写真を持って来たり。

父はもうそんなに先が長くないと思って、退職の時に制服で写真をとっていてくれました。因みに海上保安庁の制服です。

帽子を被っていたので

「大丈夫ですか?」

と聞かれましたが、父が

「この写真を遺影に使って」

と母に言っていたのでこのまま使いました。

 

そして葬儀の時に流す写真を選ぶ為に、父のパソコンの写真が入っている所を弟に開いて貰いました。

すると……

私や弟、母の写真が大量に。孫の写真も沢山ありました。

父のパソコンなので普段は父以外誰も触りません。こんなに写真をとってくれてた事に涙が止まりませんでした。

 

写真を選び終えて1度ベルコサンに行き、皆に挨拶して実家に戻りました。弟を連れて。

この日も弟はベルコサンに泊まりだったんですが殆んど何にも食べてなかったのと、多分寝てないと思い私が強制的に連れ帰りました。

 

そして次の日は火葬。

車で火葬場に行き最後のお別れをしました。

もしかしたら甦るんではないかと思ったりしましたが、本当にお別れです。

本当の本当にお別れです。

涙腺崩壊とはこの事なんだなと思うくらい涙止まりませんでした。

 

父が焼かれている間、子供達も居たので、なんか良かったな。と。

そしてお姉ちゃん(6歳)に

「泣かないで。大丈夫だから。みんな居るよ」と励まされ、

お兄ちゃん(3歳)に「よしよし」をされ、しっかりしなければ‼‼と思いました。

 

そんなやり取りをしてると他の待合室カラ喧嘩する声が。

よくみるとオジサン同士の喧嘩。

内容は介護の話と喪主が……。みたいな話をしてました。

おそらく遺産の話。

 

火葬場で信じられないと思いました。

そして本当に居るんだと。

 

その後お骨を拾い再びベルコサンに行き、お寺サンにお経を読んで貰いました。

 

そして次の日は葬儀・告別式。

この辺は本当にほぼ記憶がないので書きません。

そんな感じで進んだ父の葬儀。

イッパイ泣いて、沢山人が来てくれて、父は幸せだったのかな?と思います。

 

でも本当に大変だと思うのはここから。しばらく色々な手続きに追われそうです(母が)。

 

私は亡くなる前に何度も会いに行き、沢山お話もしたので後悔とかはあまりありません。

唯一あるとしたら死に目に会えなかった事。

そして亡くなる前に父が辛かったのも知っています。と言ううか亡くなる前のガリガリで苦しそうで、目の焦点も合わなかったり、返事も出来ない、筋肉が勝手に反応してビクッと動いたりしていた父を見るよりは全然良いかなと思います。

子供も3人居るし頑張らなければいけない時期なので前向きに頑張りたいと思います。

 

遺産……?気になりますよね?

私も弟も全部放棄しました。

遺産で揉めると弟と母の住む場所が無くなるし、遺産で揉めて家族仲が悪くなるのは嫌なので‼‼

でも電気屋のポイントカードとスーツ屋のポイントカードは貰いましたよ(笑)

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

父が亡くなった。亡くなった後の話

前回の続きです。

 

とても天気の良い日に、眠るように亡くなった父。

 

亡くなった後しばらく「ぼー」っと父を見ていると看護婦サンが来て服の着替えの相談に来ました。

 

父は病院で服を借りていたので1階のコンビニで浴衣を買ってきて着替えさせて貰いました。

 

その間に葬儀やサンに電話。

父が病気になった頃カラベルコに積立などをしていたので一時間かからないうちに病院まで来てくれました。

 

看護婦サンが少し父を綺麗にし、服も着替えさせてくれた頃に病院の先生カラ死亡届けを受けとりました。

 

死因の所には「自然死」と書いてありました。

 

癌死亡保証で保険が降りない理由はコレかぁーと何だか妙に頭の回転が良かったです。

(降りる場合も有ります。ただ癌が直接の原因で亡くなる人ってあまり居ないみたいです。大抵は多機能不全や心不全、肺炎などになって亡くなります。

父が骨髄腫になった時、入院した際に保険が降りませんでした。骨髄腫って簡単に言えば骨髄《血液》の癌です。癌保険なのに骨髄腫は対象に入っていませんでした。

そんな事があったので色々調べました。

参考までにと思い載せました。)

 

話は戻り、その後担当の医師や看護婦サンに挨拶したりしました。

ベルコサンの担当の方も一緒に来てくれてこの後の流れなど教えてくれました。

 

病院の方とはここでお別れ。

本当に長い間お世話になったので感謝の気持ちでイッパイでした。病院なので数えきれない死と直面してきた方達なのに泣いてくれた看護婦サンもいました。本当にありがとうございます。

 

父を搬送の為、ベルコサンの車に乗せ、母と私も一緒に車に乗りました。

 

父の家はそんなに大きくないし、父の兄妹を泊めてあげれる広さがなかった為、父の遺体はベルコサンに運ぶ事にしました。

1度家の前に停車してもらいその後ベルコサンに行きました。

家に帰れないのでせめて……と家の前を通ってくれたベルコサン。ありがとうございます。

 

ベルコサンには泊まれる部屋があり、父と家族や親戚など最大7人泊まれる部屋があります。

お風呂、洗面台、トイレ、布団、冷蔵庫など完備されています。寝間着や歯ブラシなんかも用意してくれます。

施設によって違うかもしれません。

 

ベルコサンに到着後、焼香をし末期の水(綿棒を濡らし口元を濡らしてあける)をしました。

 

その後担当の方が来てお葬式の流れを決めます。

父の実家は他県に有るため、お坊さんを何処にするかカラ話ました。

大体の宗派など言えばベルコサンが紹介してくれます。

その後お寺サンの予定とこちらの予定を合わせて段取りを決めました。

 

本当悲しむ暇がないほど忙しかったです。

親戚の方達も居てくれたし、忙しい方が精神的に楽でした。

 

この後の予定は、

1日空けて

納棺→火葬→御通夜→葬儀・告別式

でした。

 

私の実家の地域ではこの順番が一般的だそうです。

父の実家は他県。その地域で出たお葬式は火葬が最後でした。

火葬が最後なのが普通だと思ってた私は少し驚きましたが、順番のこだわりとかは無かったのでこのままの順番で進めて行くことにしました。

(火葬を始めにするのを骨葬と言うそうです。)

 

その後子供達を迎えに旦那サンの実家へ行き、再び戻って来ました。

子供達が居るので私達は実家に泊まる事に。

家に帰ってご飯食べさせてお風呂に入り、子供達を寝かしつけその後は体は疲れてると思うのに寝れませんでした。でも泣いたりもなかったです。一応布団に入ってましたがあまり寝ないまま朝を迎えました。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が亡くなった。 亡くなる前そして亡くなった時の話

昨日励ましのコメントなど沢山頂きました。本当にありがとうございます。まだ少し辛かったり、ふとした瞬間父の事を思い出しますが、キチンと現実と向き合い、前向きに頑張ってます。亡くなった父の為、家族の為、応援して下さった方の為にもシャンと出来るよう頑張りたいと思ってます。

前向きに頑張れるよう、少しだけ父についてこの場を借りて色々書かせて下さい。

 

 

昨日の記事に書いた通り父は多発性骨髄腫と言う病気でした。約10年前に病気が発覚して当日は余命3年と宣告されました。

 

その頃私は今の旦那サンと同棲中。そして結婚の話が決まったばかりでした。

結婚の話をしに旦那サンと家に行くと、父はTVから一切目を離さず

「おめでとう」

と一言。

後から母に聞いた話ですが本当はめちゃくちゃ喜んでたそうです。ただ少し寂しい気持ちと照れがあった為TVから目を離さなかったとの事。

 

その結婚報告の数ヵ月後に私は父が多発性骨髄腫と言う事を聞きました。

 

結婚報告の前に既に病気だと病院から言われていたそうですが、私に心配かけたくないのと、おめでたい話だった為に言い出せなかったのかな?と思います。

 

その話を初めて聞いた時は頭の中がパニックでした。

 目の前に居る父は元気。しかし余命3年と言うギャップに頭はついていきませんでした。

 

ショックを受けている私に父は

「大丈夫。孫の顔もまだ見てないし○○(私)も○○(弟)も母さんも心配だから死ぬに死ねない」

と言ったのを今でも覚えてます。

 

それから私は父と映画を見に行ったり、温泉に行ったり、競馬なんかに連れてってもらって母に怒られたり……。沢山父と楽しい時間を過ごしました。

 

そしてお姉ちゃんが産まれました。

私の父は相当デレデレでした。

産まれたばっかりのお姉ちゃんをビビリなから抱っこしてくれました。

ヨチヨチ歩きのお姉ちゃんをお祭りに連れて行ってクタクタになりながら帰ってきたり、サイコロをお姉ちゃんに振らせて競馬の予想をさせて私と母に怒られて、そんな父でした。

 

そんな感じてあっと言う間に余命宣告を受けた3年が経ちました。

何処が病気なの?と言うくらい父は元気。

早期退職した父は週5でゴルフ。

めっちゃくちゃ元気でした。

 

その後私はお兄ちゃんを出産。

お兄ちゃん、ほんの少し心臓が悪く、父は凄く心配してくれました。

そしてこの頃から父はあちこち痛いと言ってました。

 

お兄ちゃんの心臓はファロー四徴症と言う病気ですが手術すれば良くなるとの事。手術前は運動制限などありましたが2歳になる前に8時間の手術の末、今では元気に駆けずり回ってます♪

かなり大きな手術だった為、私の父は自分の体が痛いのにズットお兄ちゃんの側に居ました。

「俺も頑張るから、○○(お兄ちゃん)も頑張れ」とICUで面会している間何度も声をかけてくれました。

 

お兄ちゃんの手術の時、私末っ子を妊娠中でした。

父は自分の体もあちこち痛いのに、お兄ちゃん、私、お腹の中の末っ子の心配ばかり。

もう少し自分の体を大切にして。と言ってもあんまり聞いてくれませんでした。

本当頑固と言うか、家族思いと言うか、優しいと言うか、大好きでした。

 

その後私は3人目出産。しかしその頃には父は入退院を繰り返してました。

 

それでも前向きに頑張る父は本当凄かったし尊敬してます。

 

治療にも積極的で、抗がん剤治療も積極的にして食べ物を食べれなくても、痩せ細っても「まだまだやりたいことがある」

と言っていました。

 

亡くなる1ヶ月前は一時退院で自宅に居ました。自力では歩けないし、話てても途中で寝ちゃう時もありました。

それでもお姉ちゃんの入学祝いを何にしよう?とAmazonで色々検索してくれたり全力で生きていました。

 

そして亡くなる2週間位前母から父が救急車で運ばれたと電話がありました。

今すぐどうこうでは無いけど覚悟した方が良い。と母に言われました。

次の日病気に行きました。手も足も顔ももう殆んど骨と皮。

声は出せるけど、全部は聞き取れない。

手に力が入らないからペンも持てない。

水も飲み込めない。

見てるのが辛かったです。

 

それでも頑張ってお話をしました。

病院の先生にお話出来るのは最後になるかもと言われたので

「ありがとう」

をイッパイ伝えました。

父が眠ってしまったのでこの日は帰宅。

 

因みに私の家は実家から離れている為高速で一時間半位かかります。

 

そして数日後もう一度病院に行きました。

この時は既に返事もしてるのか分からず。

ただ何度も体が跳ねるように動いていました。

目も焦点があっておらず、声も出ませんでした。

それでも私は楽しかった事や感謝の気持ちを伝え続けました。

そして父の目に涙。

口元もパクパク何か言いたそうでした。看護婦サンに口元がパクパクしてると話したら自力で動かしたのではないかもしれない。でももしかしたらほんの少しだけ話しているのが聞こえたかも。との事でした。

体の中で1番最後まで機能するのは耳らしいです。

なので話しているのが聞こえていたら良いなーと思ってます。

 

子供達は面会できないので本当は病室に連れていき近くに居たかったんですが帰宅する事に。

 

そして次の日の朝、母から父が危篤と連絡が入りました。

 

急いで病院へ向かいましたが病院の駐車場に着いた時、ケータイに亡くなったと弟から連絡が。

間に合いませんでした。

それでも急いで病室に行くと動かなくなった父が居ました。

 

信じられませんでした。手を握ってみると暖かい。足も体も全部まだ暖かい状態。

本当に寝ているかのよう。

弟から亡くなる時の様子を聞いたら、本当に眠るように亡くなった。と教えてくれました。

覚悟はしていたけど辛いが本音です。

でもまだこの時はかなり冷静でした。

頭の中がクリアと言うか、おそらくまだ実感が沸いてなかったんだと思います。

 

亡くなった事を父の兄弟や親戚の方に連絡。

(父の実家が県外の為駆けつけれませんでした。)

そして少し泣いて看護婦サンが来ました。

 

私が到着するまで全てそのままの状態にしてくれたそうです。

 

良く晴れた日でした。

 

つづく

 

明日お姉ちゃんの卒園式の為今日はここまでにさせてもらいます。

 

 

父が亡くなった

私の父が3月15日の午前に亡くなた。

多発性骨髄腫という病気だ。この病気は簡単にいうと血液の癌(がん)だ。

 

私がこのブログを初めようと思ったきっかけは父の病気が目に見えて悪くなっていって、辛かった為だ。お見舞いに行くのも覚悟が必要な位痩せ細り、弱っていた。

1番辛いはずの父がお見舞いに行くと、弱音を1つも吐かずにいつも

「笑っていなさい」

「楽しく生きなさい」

「前向きに生きなさい」

と……。

そんな風に私に言う。

なので私は日々の楽しかった出来事、笑った話を書き綴った。

途中から面白いって何?となりながらブログを頑張ってみた。

 

 

父は私を可愛がってくれた。

遅くに結婚したため30代後半で私が産まれた。その5年後に弟が産まれた。

周りの人より遅くに子供が産まれた為なのか分からないが溺愛されていたと思う。

 

沢山遊びに連れていってもらった。沢山遊んでくれた。いつも私の味方でいてくれた。家族を大切にしてくれた。私の母が大好きだった。いつも前向きだった。私は何不自由なく育ててもらった。孫も可愛がってくれた。

感謝してもしきれないくらい沢山の愛を貰った。

 

そんな父が亡くなった。

はっきり言ってまだ頭の整理がつかない。

 

お姉ちゃんの小学校の入学式がある。

末っ子の入園式もある。

私も育休があけてもうすぐ会社に行かなければならない。

 

今はとりあえずやることが沢山あって良かった。

 

つづく

 

 

 

座ってするか、立ってするか

我が家のお兄ちゃん最近オムツがとれました‼‼

 

1年位前からトイレは度々行ってたんですが

入院したり、下の子が産まれたりと中々進まずにいたトイレトレーニング。

お姉ちゃんのパンツが少し小さくなって来たのでプリキュアのパンツを購入。

すると

『僕もパトレンジャーのパンツ欲しい‼‼』

(まだお漏らしするのにーなぁー。)

と思いながら、(お姉ちゃんも買ったし)と思い購入することに‼‼

次の日早速パトレンジャーのパンツをはいて保育園へ。

すると帰りに先生が

『トイレしっかり教えてくれてお漏らししませんでしたよー』

と教えてくれました。

次の日もパトレンジャーのパンツで保育園に。

(パンツは二枚組の物を購入)

するとお着替えをしてない。=お漏らししてない‼‼

キャラクターパンツでお漏らししなくなるなんて‼‼もっと早くに買うべきだった。

 

しかし次の日はパトレンジャーのパンツがまだ乾いていなかった為普通のパンツで登園。

するとお漏らししていました。

まさか気に入ってるパンツを履いている時しかおトイレに行かないのか?

と思いながら何日かパトレンジャーパンツをはいたり、普通のパンツをはいたり脱いだり。

やっぱりパトレンジャーパンツの時しかおトイレ頑張ってくれないみたいでした……。

 

もーしょうがないですよね。

もう一組パトレンジャーパンツを購入したりして最近はバッチリなお兄ちゃん。

 

しかし母には新たな悩みが。

お兄ちゃんのトイレ、最初はトイレに補助便座を着けて座ってしていたお兄ちゃん。

保育園でもお兄ちゃんの学年のトイレは座ってするタイプ。

 

しかし最近のお兄ちゃん、何処から覚えてきたのか立ってトイレをするように‼‼

飛び散り放題。

ついでに旦那サンも飛び散り放題。

 

立ってするのは男の人の自然な格好だそうです。むしろ座ってするのは不自然に大事な部分を折り曲げるので尿が尿道に残りやすいとのこと。それにより、排尿障害、前立腺肥大、最終的には睾丸ガンになりやすいとのこと。

 

 

しかし逆にこんな事も書いてありました。

男性が座って用を足した場合には「より効率的に膀胱の中を空にできる」とする医学研究がある。

とも書いてありました。

他にも沢山書いてありましたがどちらも良い面、悪い面が書いてありもう本当どっちなんだーーーと思いました。

 

座ってトイレを教えるか、立って教えるか。

悩み中です。

 

そしてトイレが終わった後に、前後左右パンツをバホバホさせてからの1度オチンチンを出してからしまう謎のルーティーン。これは辞めさせたいなぁーと思う母でした。